生きる歓び

 橋本治の短編集。平成六年十二月三十日初版発行。
 心の隙間を描いた短編が多い。市井の人に取り憑く能力みたいなものがものすごい。
 ほとんどの短編で、「あるよなあ、これ」とおもう。それは事象というより、心持ちに近いものだ。自然とか、店とか、家の中とか、描写がほんとにうまいよなぁ。古典の翻訳ばかりしていないで、もっと自分の小説を書けばいいのに。

にしん(「WOMBAT」No.4平成五年冬号)

 朝の十時半に円月庵の横手のドアを開けると、削り節の匂い湯気になって押し寄せて来る。梅雨時は気になったけれど、今となってはもうなんとも思わない。

 なんとなく高校を出てなんとなく大学に行くものだと思ったら落ちてしまった。さあ、どうしようというときに、東京でそば屋をしている叔父さんから声がかかる。泰成はこのままそば屋の出前持ちで一生を終わるのだろうか。学生でも、勤め人でも、職人でもない中途半端な社会人の心の隙間を描く。こういう状況を描くとほんとにうまい。小説を読まされたぁというかんじがする。

みかん(「小説すばる」平成五年六月号)

「オレンジになれないみかん」
 口の中でそうつぶやくと、もう一度繰り返したくなる。

 意味不明な冒頭だとおもう。その意味不明さがずっと続く。二十四歳のOLの話である。どうでもいい――としか思えなかった。

あんぱん(「問題小説」平成五年月十月号)

 鍼灸院のドアを開けて出て来たばかりの志津江の前を、透明な秋が身をくねらせるようにして通り過ぎていった。
 すり抜けた秋は、もうとうの昔に花を落としてしまっている雪柳の緑の上にとまって、羽を休めている。

 収録作中、いちばんの傑作ではないかとおもう。あと一年で七十歳になってしまう老女があんぱんを買うだけの話なのだけど。ディティールのすごさに目を見張るものがある。

いんかん(「問題小説」平成六年八月号 掲載時『印鑑』)

 午後の光が黒い石の床の上にやわらかく落ちている。そこだけを見れば教会のようでもある。住宅街の中は静かで、石造りのマンションの中は、もっと静かだった。

 妻に先立たれた、人生の終末期にいる男の心情。よくこんなものがリアルに書けるなあと感心するばかり。いいことなんてなにもなさそうなのに、それでもどこか幸せな感じがする。

どかん(「小説現代」平成六年八月号)

 土筆が杉菜になって、春の土手は柔らかな緑に包まれていた。河川敷には大きな白いコンクリートの土管がいくつも積まれて、積み上げた土管のそばに打たれた真新しい杉の角材の辺りには、黄色い小さな羽の蝶が飛んでいた。

 主人公の勇治は、三十三歳で四歳の女の子の父だ。妻は第二子を生んだところだが、勇治は会社をやめてしまう。「小説を書く」といって。しかし、十五枚の短編をひとつ書いたきりで、事態はどうにも動かない。橋本治の描くサラリーマンはいつも茫洋とした不安やむなしさを抱えている。勇治はそこから逃げ、「じーんとするほどの幸福」を味わう。ちょっと怖い、自然描写のすばらしく美しい短編だ。

にんじん(「小説すばる」平成六年九月号)

 拓郎が家に帰ると、誰いなかった。
 明かりだけが点いている。

 どうしようもない中年オヤジの話。まだ美しくなっていない田舎くさい娘と、そんな娘をキャバクラにいる時と同じような秤でしか見られない働くおやじ。にんじん嫌いの処理が見事で、短編としての切れ味は抜群。

きりん(「野生時代」平成六年九月号)

 遠くの空に白い雲が浮いていた。夏ではなく、冬だった。

 これはたぶんこの短編集で、描かれている感覚を理解するのが一番むつかしい。孤独、だろうか。そんな単純な言葉ではくくれないけれども。主人公の今後の姿もまったく想像できないし、もっとも意味不明なのは武田だ。ほんとに混濁していたんだなぁとはおもうが、でもあるのかなあこんなこと。あるんだろうたぶん。

みしん(「野生時代」平成六年十一月号)

 スイッチを入れるとミシンの針が、勤勉にそして軽やかに動き始める。心地よい振動が布地から指の先に伝わって、伸子はその自分の指先が働き者の針になって小気味よく動き続けているような幸福を感じる――「中毒かもしれない」と思いながら。

 冒頭にすべてが凝縮されている。「幸福」「勤勉」そして「中毒」(ジャンキー)。意外なことにここで語られるのは三代の親子が、意識せずに感じてきた寂しさだ。自分の幸福は家族になにを及ぼすか。なかなか掴むことが難しい、時間に追われる幸福感。それさえも扱いが一筋縄でいかないことをみごとに描いている。好きな短編だ。

ひまん(「野生時代」平成六年十二月号)

 入社して二年たったら、八キロ太っていた。

 学生にとっての入社の話。茫洋としたなんだかわからないところへ出ていくことの不安。それは入社してからも続く。ちょっとぼうっとしすぎじゃないかなあと思わないこともないけど、でも、自分もぼーっとしているうちに五十年近くたっちゃったしなぁ。日本てこういうものだったのかも。いま、その贅肉の部分がどんどん切られようとしているように感じる。いずれ平成六年の頃にはまだ贅肉が許されたんだ、なんて言われるようになったりして。いや、もうすでに――