ダーティ・ワーク

 絲山秋子の「ダーティ・ワーク」(集英社 1365円)を読んだ。
 ローリングストーンズの曲をモチーフにした連作短編集だそうで、あ、オレと関係ない世界と思ったが、読み始めてしまったものは仕方がない。そのためにわざわざCDを借りてくるというのもなあ。あ、アップルストアで買えばいいのか。YouTubeでもいいけど。

worried about you(「小説すばる」 二〇〇五年一〇月号)

 どちらが長く禁煙が続くかなんて、本気でやめる気もないくせにベーシストの板間とくだらない賭けをした。結局熊井は負けて、約束通り大嫌いな健康診断に行く羽目になった。二人とも、そんなものはナンセンスだと思っていた。健康あっての仕事なんてことはいやというほどわかっている。けれど、一曲いくら、ライブになれば一本いくらで働いている彼らが、体が動くのにどこか悪いと言われたって仕事を休むはずがない。休むのはどこかが痛くて立っていられなくなってからだ。熊井は生命保険にも入っていない。受け取って欲しい相手がいない。国民健康保険だって渋々払っているのだ。

 冒頭だけ読むと性別すらわからないが、板間は男で、熊井は女だ。ぜんぜん女っ気のない熊井のことを心配して板間がリーマンの男を紹介する。というようなあらすじを書いても仕方ない。
 熊井の時間感覚が面白かった。

 どんなに忙しくても暇なものは暇だ。つぶせないからそれを暇と言う。

 そうそう、そうなんだよね、とうなずく。忙しさがなければ暇もない。熊井はTTというわけありの男にずっとこだわっている。TTはずっと出てこない。

sympathy for the devil(「小説すばる」 二〇〇五年一〇月号)

 恋をすると私はブスになる。だから私のブスは辰也のせいでもある。なぜだかわからない。なんかモードが変わるから、としか言えない。食べ物おいしくなって太るし、吹き出物もできる。エッチばっかしてると寝不足で顔むくんじゃうし、なんか人相も油断してだらしなくなる。恋をするときれいになるとかよく雑誌に書いてあるけど嘘だと思う。せいぜいわき毛とかビキニラインをきれにするくらいじゃん? 角栓取りのパックとか、新しいファンデとか、そのうちどうでもよくなってくる。新しい服とか勝負パンツなんて最初のうちだけ。もちろんほんとにきれいになる人もいるんだろうけど私はだめ。まあいいや。辰也はブスになった私と四年もつきあっている。もう別に美人でもブスでもどうでもいいって感じで。とっくの昔にお互いに飽きているんだけどそこはひとつ目をつぶってって感じで。

 ずっと心のなかで愚痴を言ってるワーキングウーマン、津山貴子。言われっばなしの辰也。女友達は、引きこもったり子育てしたりで、話をする相手ではなくなる。変わり者の兄は国会議員の秘書で、喋りっばなし。その嫁、麻子さんと仲良くなって温泉に行き、はじめて愚痴を聞いてもらうという、大愚痴小説。牛遊びがちょっと面白かったな。

moonlight mile(「小説すばる」 二〇〇五年一二月号)

 いたいいたいいたいいたいいたい

 冒頭は悪性リンパ腫の痛みである。血管が痛いんだそうだ。うわあ。
 遠井が神原美雪を見舞う話である。発作の描写がすごい。 

before they make me run(「小説すばる」 二〇〇六年四月号)

 やつらが俺を走らせる前に、自分で歩き出さなくちゃ。

 パチ屋通いの引きこもり(誰だおまえは)のぐだぐだ語りを読んでいると、いきなり辰也の独白が始まって驚愕する。そのあとはもっとびっくりする。いきなり会社の愚痴を言い出すこの女は誰だと思っていたら、熊井の友だちだったのだ。
 熊井の内面をworried about youで読んでいるので、外からみたクマーの姿に驚く。友だちはクマーに精神的に救われ、バチ野郎の行動にも影響が及ぶ。うますぎるくらいの展開。

miss you(「小説すばる」 二〇〇六年六月号)

 仕事の帰り、花屋の辻森さんのところにお願いに行った。

 辰也がつきあっている三人の女、S、K、Mのうち、Mこと持田の話。おねえちゃんが結婚することになり、中目黒にある花屋の辻森さんにブーケの作り方を教えてもらう。

back to zero(「小説すばる」 二〇〇六年八月号)

 夕刻、やっと街が静かになってくる。彼は窓を開けて深く息をつく。三日月がやや北寄りに滑り落ちていくのを見る。日の長いこの時期は苦手だ。どうしても動き出すのが遅くなる。

 いきなりTTの正体がわかった。びっくりだ。TTも熊井の写真を見て驚愕している。

beast of burden(「小説すばる」 二〇〇六年一〇月号)

 ずっと探していたTTと会えたのは、楽屋に出入りしている花屋の辻森さんのおかげでした。実は、私は辻森さんがセッティングしてくれた浅草の店には入らなかったのです。時間よりかなり早めに行きました。でも、ちょっと店構えを見ただけで、高そうだな、と思って気後れがしてしまった。自分には似合わないしTTがこういう店に似合う人になっていたら、いやだな、と感じたのです。私はなんだかもう、どうでもよくなって(こういうのが私の一番悪いところなんだけれど)、水上バス日の出桟橋まで行って帰ろうと思いました。夜の水上バスに乗ったことはなかったけれど、ビールを飲みながら隅田川を下っていくのは悪くないと思いました。TTと会えるチャンスを目前にしてやる気をなくしてしまうのはばかげているのですが、そうかと言ってお店に戻る気もしなかった。

 TTと熊井がとうとう出会う。
 わりと複雑な構成の、男と女の出会いの話だった。
 単行本で読むと非常に心地よいが、これ、雑誌で読んだらどんな感じなんだろう。入れ墨の件とか、わけがわかんないだろうな。
 最後のbeast of burdenの文体だけが手紙みたいで、なんのために? と考えていたのだが、静謐をあらわすためかもしれない。冬の軽井沢、いいな。