第19話

未解決凶悪犯罪 「花」

 1929年の事件 。
 約80年前?
 直接の証人なんてほとんどいなくて、犯人もとっくに死んでいて、リリーたちは日記や研究者からの話を中心に想像で絵を組み立てていく。
 被害者となった女の子ヴァイオレット(アリソン・ミラー)、金持ちのパーティで酔っぱらい、テーブルの上で貧乏な農民の唄を歌うシーンがある。あふれるような才能、魅力。
 魅力のある貧乏人ほど危険な存在はないのかと思ったら、そうではなかった。彼女はアメリカ人とは思えないほど正直で正しい人だった。彼女とその子が追い出されたときは、世界大恐慌の始まりのときと重なっていた。
 当時のアメリカ人はなんでもありでないと生きていけなかった。脅迫できるものは脅迫を。しかし、ヴァイオレットは自分の才能を信じて生き抜こうとした。実際にそういう決意が通用したかどうかは別として、その心根は輝くように美しいものだった。日本的にいえば、出る釘である。ほとんど瞬間的に折られた。


 と、ここまで紹介文のようなことを書いてきて、単純化しすぎている部分がふたつある。
 ひとつは、ヴァイオレットが正直で正しい人だったという部分。たしかに自分に対しては、きわめて正直で正しかった。ただ、彼女は自分の家族と田舎を捨てていた。歌手になりたいという、自分に正直な欲望のために。だから、決意も強かった。自己イメージが強固だし、間違った道も選ばない。深い傷が強い意志を生むという、ま、このあたりは「クリミナルマインド」のホッジにも期待しているキャラクター造形であります。
 もうひとつは、アメリカ人の「なんでもあり」は世界大恐慌と関係ないかもなあという漠然とした思いです。出発点ではあるかもしれないけれど。いまでもたぶん変わってないんじゃないかな。あの国は経済恐慌とキリスト教の狭間でずっと不安定に動いている。


 今回は編集もよかった。300本のバラと少女のくれた金時計。象徴的なイメージをうまくつないで、貧富の差や時代の激動と経過といった複雑な要素を無理なく処理していた。
 世界大恐慌は背景として少ししか描かれなかったけど、もうすこしきっちり観たいな。「シンデレラマン」でも観直すか。