「上陸 田中小実昌初期短編集」

 冒頭にあるのは、「文藝春秋」に土田玄太名義で発表された「やくざアルバイト」。

「やくざアルバイト」(文藝春秋 一九五〇年七月号)

「厄年の方はありませんかな。厄に当たった人は、縁談、金談、新築、移転、旅行、何でも良くないぞ、御注意なさい。昨年は七月雨降りしきる常磐線綾瀬駅附近にて、鉄道枕に汽車蒲団、派手な死に方をなさいましたのが前国鉄総裁下山定則氏。明治三十四年丑歳の生まれで四十九歳で亡くなっている。現総理大臣吉田茂さんも、五黄の寅で去年の運は盛であったが、今年は九星の中宮にて位して八方塞り、五井産業事件はともかくとして、京都府知事同市選挙、地方税法案と、最近は明かに黒星続き、六月に行われる参議院選挙にも自由党絶対多数は昨日の夢、恐らくは……」

 これはコミさんが中国大陸から戻って東大在学中のアルバイト、パリコミロクマという商売(ばい)の口上らしいのだが……ついすこし前まではコレラで死にそうになっていた人がなにを言ってるんだと不思議な気持ちにさせられる。
 それにしても文章が硬い。「ぽろぽろ」を書いたすごい人も、やっぱり最初はこういうところからスタートするのか……

「赤鬼が出てくる芝居」(シグマ第一号 一九五五年七月)

 まだ生きている僕には、(これを書いている現在、僕は生きているのだから、南京城外の焼跡の広場の真中に建っていたあのテントに容疑者としてほうりこまれた、昭和二十一年五月末のその当時も、たしかに生きていたはずである)蛆はわいていない。

 後年、「物語」を拒否する田中さんは、ここでは「演技」している。自分のからっぽさを演技で埋めるという話である。真逆にみえるが、自分のウソを意識するという意味では同じアプローチなのか。
 発表媒体の「シグマ」は田中さんが主宰した同人誌だそうである。戦争体験を残すために作ったのだろうか。

「マスター・サージャンの片目」(シグマ第二号 一九五五年一〇月)

 いつまでながめていても、フライド・チキンのこんがり揚がった色もかわらないし、サラダにはいったイタリアン・オリーヴの黒いつやもきえてなくなっているわけではない。頭からバターをたらしているハット・ロールも、いくらにらみつけても、その化けの皮がはげるけはいもなさそうだ。まっ白な紙皿にもられたこれらのごちそうは、あたりまえのことのように、すこぶるイノセントにあたしのまえにおかれている。

 漢字とひらがなの配置は、コミさん独特の文体として完成しているようにみえる。
 進駐軍タイピストとして雇われた女学生がトイレに困っている、ということをたぶん一枚の写真を見ながら描ききっている。またしても、からっぽのわたし、現実感を喪失しているわたしが出てくるが、どうして女性の一人称なのか、なぜこれを書いたのかはよくわからない。実験小説風。

「生き腐れ」(シグマ第三号 一九五六年三月)

 それがこちらに働きかけているのを、身体の一部では痛いほどに感じていながら、どうしてもそれをつかまえることができない。というのは、ぼんやりこちらを取りついたものがあって妨害しているのだが、じつはその妨害しているものがこちらから出ているのにはっきりしないので、向うからのからのものも、それが何だと判別できないのだった。しかし、それは倍加していく力と重みをもって大きくなり、ぼんやり、だが弾力をもってこちらを取りまいていたものをとうとう破って、音になった。

 なんとも曖昧模糊とした出だし。
 これも進駐軍の爆弾貯蔵部オフィスが舞台で、しかし、語り手は雇われたばかりのインタープリター(通訳)になっている。
 心のなかをじっとみている。
 いくら短編とはいえ、こんなに動きのない小説は珍しい。心のなかのよくわからない動きというかゆらめきをひたすら書いていて、でも、妨害しているものの正体は判明する。同人誌掲載だけあって、好きなふうにかいている印象だ。
 五十六年といえば、私の生まれる四年前だ。当時としては、すごく新しい文体だったのかな、というきもする。五十年の時間が経過しているとはおもえない。

「まじない」(シグマ第四号 一九五六年一〇月)

 二人分の電車の座席に三人腰かけている。だから、真中の男は座席の後に沈没し、両側の二人ははみ出していた。真中に沈没している男が口だけ動かして云いだした。

 LとCとRの物語。左真ん中右。当時まだリストラという言葉はなかったのか、整理といっている。いまのはなし、としてもぜんぜんおかしくない時代を超越した物語。物語というとコミさんはいやがるのか。
 今朝、いきなりモルモン教徒が布教に来た。まじないをするLの姿に重なる。

「初恋だった」(シグマ第五号 一九五七年一月)

 バアのカウンターに手をかけて、腰掛によじのぼると、「スコッチ・ソーダ、マンハッタン、それからコカコラ。ルテナン・ボイドのオーダーだよ」と云った。

 なんだか不思議な作品。こだわっていないようで、病気にはこだわっているなあ。

「上陸」(「新潮」 一九五七年一二月号)

 三公が注射針を静脈にさしこむと同時に、船が大きくがぶった。両手が使えない三公は横にぶったおれ、ああ、ああ、叫びながら床をころがっていった。目を開けていて、それを見た者は、みんな笑った。三公のからだはハッチの壁にぶっつかり、腕から血がふきだした。

 朝鮮戦争のころのはなし。タンクを朝鮮に密輸しているっぽい船の中の情景を一幕もののように描く。リアルなのか、幻想的なのか。この時代を知らないものにはよくわからない。
 権力者、弱者、ずる賢いやつというのは必ず出てくるなあ。これが人物の基本構成なんだろうか。

「その十日間のこと」(シグマ第六号 一九五八年三月)

 野田三郎は、両手でかかえていた赤旗を片手にもちなおすと、湯川肇の前にさしだした。一丈四方の大きな旗だ。ふとい旗竿をにぎった野田の腕の筋肉が、褐色の日にやけた皮膚の下で、蛇がはうようにしなやかに動いた。

 ストライキの話で、ピケラインという言葉がなんだか懐かしい感じがした。
 登場人物。
 湯川肇。中支帰りの労働者。どうしようもない閉塞感のなかにいる。
 野田三郎。F高等学校の寮で湯川と同室。その後、徴兵され、ここでも湯川と同じ中隊となり、中支に渡る。無口。
 正木拓男、東大法学部学生。夏休みのアルバイトにY港米軍基地に職を求めてきた。皮肉ばかりいう観察者。、知性技術論者。
 山辺忠邦。ストライキの闘争委員長。組合書記長。ピケラインには出てこない。
 湯川と正木がコミさんの分身だろうか。とすると、実体験をもとにしているとはいえ、自分の頭のなかの議論小説という側面もある。そのあたりが独特だ。議論の部分はかなり生硬。気持ちだけでなく、議論から気持ちがこぼれ落ちるような印象があり、この短編集のなかでは一番おもしろく、読みごたえがあった。
 好きな箇所。

 おれははじめから生きていた。生きていたからこそ、おれなんだ。ところが、つまり、金がなければ、もともと生きているものが、生きられない。はは、こいつはお笑いだ。