2002年、講談社。短編集。
え、これがあの奥田英朗の? とびっくりした。サラリーマンの哀感を描いたものだが、あたりきたりでぜんぜん面白くない。最後の「パティオ」がちょっと胸に詰まる話かなあと思ったくらいで、なかなか読めなかった。乗れなかったのだとおもう。
マドンナ(「小説現代」二〇〇〇年十一月号)
倉田知美が定期人事異動で営業三課にやってきたのは六月一日のことだった。
なんとまあ、表題作のこの作品が一番つまらなかった。課長の話である。自分の課にマドンナ的な女の子が配属されて、恋いこがれてしまう。独身男子の部下といがみ合う。女の子には海外部署勤務のいい男がいた。おしまい。これをどう読めというのだろう。
ダンス(「小説現代」二〇〇一年十月号)
大学へは行かない。ダンサーになる――。
息子は親のいうことを聞かない。会社にも自由にやるという同僚がいて頭痛のタネになっている。そんなニッポンのお父さんサラリーマンが、最後には折れ合う話。
総務は女房(「小説現代」二〇〇二年一月号)
事務系部署への異動は初めてだった。
営業でバリバリやっていた男が二年間の約束で閑職に異動させられ、あまりのせこさにうんざりする話。読むほうもうんざりだ。どうでもいい。
ボス(「小説現代」二〇〇二年四月号)
浜名陽子、というのが新任の部長の名前だった。歳は四十四。
次は部長と内心で思っていた男が、女性総合職、しかもヨーロッパ本部からやっきた途中入社の女性を上司に迎えて四苦八苦する話。正義と合理性を貫けなかった「総務は女房」とは対をなす作品。こちらのほうが読ませるが、しかし、ドラマというほどのドラマもなく……。
パティオ(「小説現代」二〇〇二年七月号)
オフィスのある七階からは、パティオと呼ばれる中庭が一望できた。
勤めと家族、とくに遠く離れた父親との因縁を描いた作品。ほかの作品にくらべるとすこし普遍性があり、視点も面白い。老人の「私は孤独ではない」というすこし強がりの入った主張がいい。