『幻想文學セラピスト』第三夜「カフカと変身と3つの扉」イベントレポ

parabolica- bis
2015.4.5

 浅草橋駅から徒歩五、六分歩くと、不思議な外見のビルが建っている。ギャラリースペース「parabolica- bis[パラボリカ・ビス]」だ。
 この空間を知ったのは、二〇一四年五月二十四日に、米光一成さんと千野帽子さんがふたりで一冊の本を語り倒す『幻想文學セラピスト』というイベントを開いたからだ。
 一回目はフィッツ=ジェームズ・オブライエンの「墓を愛した少年」を取り上げ、「死者を愛す」と題して行われた。
 二回目は、ヘンリー・ジェイムスの「ねじの回転」を取り上げ、「少女と呪いの館」と題して行われた。

 そして、カフカ生誕一〇〇周年の今日はフランツ・カフカの「変身」だ。「カフカと変身と3つの扉」というサブタイトルの3には三回目の意味が込められていると聞いて、ああっとおもった。米光さんのイベントには、気がつかない人はそのままスルーしてしまういろいろな罠が仕掛けられている。
 3つの扉は、「変身」の主人公であるザムザの部屋のことでもある。どういう作りかイマイチわからないのだけど、通りに面したザムザの部屋には三方向に扉がある。妹の部屋、両親の部屋、リビングらしき部屋。三つの壁に扉がついていると落ち着かないと思うのだが、プラハの街ではこんな造りはふつうなのだろうか。といった話も、本日のトークから仕入れてきた情報。

千野帽子さん場をあたためる

 当日、一階では、四時半から「変身」の朗読劇が行われていたらしく、これを鑑賞していた米光さんと千野さん。自分たちのイベントが始まる時刻になっても、朗読劇が押してあらわれない。
 すこしたって、あわてて千野帽子さんが登場して、ゆっくりと(本人いわく「フォークシンガーのような語りで)、今年はカフカ生誕百年であり、去年は第一次大戦が始まって百年たったというふうなことを語った。わたしたちは生まれていない時代だが、第一次世界大戦の時代と言われると、なるほど、現代とつながっていると感じる。大正十四年。日本ではまだ漱石が書いていた。
 米光一成さんが登場し、あれ、もう始まっているの? という表情であたりを見回した。しばらくぼーっとしているように見えたが、突然、がっとギアが入った感じでトークショーが始まった。

■まずは三枚のタロット

 『幻想文學セラピスト』恒例のタロットカード三枚引き。
  米光さんがシャッフルし、観客が三枚のカードを引く。
 「吊された男」「星」「世界」
 それぞれ、束縛、遠い希望、ネクストワールドを象徴するカードだ。この三枚のカードを意識しつつ、カフカトークが始まる。

「出オチじゃないけど、虫になっちゃうから!」

 あ、言っちゃった。「変身」とはそういう小説である。
「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から気づいたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気づいた。」という有名な冒頭は、誰もが知っているにちがいない。そして、これだけで読んだ気になってしまう。「変身」意外と最後まで読まれていないのではないか。
 ふたりの告白。千野さんは大学院生のときに、米光さんは社会人になってから読んだそう。私なんか五〇歳をすぎてから読んだ。きっかけは、米光さんが講師をつとめている表現道場でカフカの読書会を開いたからだ。30人がテーブルを囲んで、1時間半、「変身」のことだけをひたすら語るという異様な読書会だった。そのときはおもに「どんな虫だったのか」「家族にどんなふうに思われていたのか」ということをテキストから読みとる試みをした記憶がある。

■原因が書いてない

 カフカの「変身」は虫になった原因がいっさい書かれていないところがとても二十世紀的だと千野さんが指摘。
 ザムザはなぜ自分が虫になったのか、ということを考えない。どうやって会社に行こうかとそればかり考えている。
東日本大震災の翌日、みんな会社に行こうとしてたよね」
 と千野さん。あまりの異変に出くわすと、人は日常に固執してしまうのかもしれない。
東宝特撮映画だと、警察とか自衛隊が出てくる事態だよねー」
 と米光さん。
 カフカの「変身」は超常的なことが起きたときにひとがとる反応をことごとく裏切っていくよねーということでふたりは同意。それが、カフカについて一生かかっても読み切れないくらいの批評、研究書が出ている理由なのかもしれない。

■手紙魔カフカ

 カフカ関連本が次々と積み重なる。
 とくに、米光さんはカフカの手紙と日記を読み込んできたらしく、『幻想文學セラピスト』としては異例なことに、作家自身について踏み込んでいく。
 とにかく手紙魔で、フェリーツェという女性に向けて書いた執拗な手紙が話題にのぼる。毎日というか日に何通も書いていたのではないか。いくら携帯やらメールやらがない時代だからといっても異常である。どうも会社の仕事をさぼって書いていたらしい。「この手紙はタイプライターで書いているけど、いま会社だから勘弁」みたいな内容もあるらしい。勘弁じゃねーよ。このことがあとで紹介する米光さんの大発見につながっていく。
 カフカがどのくらい変な人だったかトークが続くが、このあたりは後日、詳細な電書が出るだろうからそちらをお楽しみください。

■右下寝に共感

 ザムザはなぜ虫になったの? という千野さんの疑問に、カフカが憑依した米光さんが答える。
カフカはそのことをあまり気にしていないんじゃないか。オレ、虫になりてえ、くらいの。虫プレイですよ」
 虫プレイは後半のキーフレーズとなる。
 千野さんはさらにカフカが二度、結婚を破棄していることにふれる。
「婚約破棄男ですよ」
 ここから話が展開し、カフカのひとつのことに絞りきれない性格があきらかにされていく。
 頭木弘樹さんの「絶望名人カフカの人生論」が紹介された。すごく面白い本らしい。続編として「希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話」も出ている。「変身」既読の人にお薦めとのこと。
 千野さんの「変身」にはフックがたくさんあるという話も面白かった。平べったい虫になったザムザは、いつもの右下になる姿勢がとれずに四苦八苦する。千野さんも右下派で、足を骨折して入院したときに苦労したそうだ。
「右下にすごく共感した!」

■なぜ支配人が来るのか問題

 表現道場の大読書会でも、疑問の残った問題があった。
 虫になったザムザは、出社できない。田舎廻りのザムザは五時発の列車に乗らなければならかったのだ。駅で待っているはずの小間使いが報告して、ザムザが列車に乗っていないことはすでに会社にバレているだろう。もう六時半だとザムザは悩む。
 そして、ザムザの煩悶は現実化し、七時十分には支店の支配人がザムザの家にやってくる。
 いくら店が七時開店といっても早すぎないか、と米光さん。これが解けなかった疑問点。
 それが今日、解けたというのだ。
「『なにしろ、グレゴールは五年間の勤めのあいだにまだ一度も病気になったことがないのだ。』と書いてあるから、つい勤勉なやつだと思ってしまうけど、会社を休んでいないとは書いてない」
 つまり、ザムザはズル休みの常習者(たとえば、親戚が亡くなったとか理由をつけては休む)ではないか。もうあいつのことは信用できないとなっていたときに、ザムザがあらわれなかったものだから、支配人が「またか!」と駆けつけたてきた。これなら辻褄はあう!
 そして、ラスト。ザムザが亡くなってホッとした家族、父、母、妹は、会社に休みをもらってピクニックに出るのだが、ここも正確には「急いで欠勤届を書いた。それから、三人はそろって住居を出た」とある。欠勤届を書いただけなのだ。
 ザムザ家、病欠一家だろ! とすごい結論が導き出される。

■朝起きたら○○だった

 朝起きたら○○だったというパターンの小説はたくさんある。
 その最初のものは、カフカの「変身」(1915)からさかのぼること八十年前のゴーゴリの「」(1836年)と、千野さんがその内容を紹介。とんでもない話だった。
 あまりにもぶっ飛んでいたせいか、追随者はあらわれず、カフカが「変身」を書いてから、このパターンの小説は一気に増えた。その一例としてヴァージニア・ウルフの「オーランド」(1928)が紹介された。日本でも安部公房が「壁」「闖入者」、倉橋由美子が「蛇」を書いている。手塚治虫もマンガで「メタモルフォーゼ」を描いた。
 作家としては一度はやりたくなるパターンであり、腕を問われる場面なのだという。

■視点の問題

 「変身」の視点は、限りなく一人称に近い三人称だ。
「一人称で書けないのは最後の家族のシーンと、気を失っている二章の最後の部分くらい。あとはほぼ一人称で書けるよね」
 と米光さん。
「しんどい、だるい、腹減ったといった感覚がよく書かれている。肉体に縛られているね」
 と千野さん。
 ザムザの後ろに誰かが立っている感じ。
 意識は神だが、感覚の入力器官はザムザのものを使用している。
「ああ、だから、信用のおけない存在のなくなったラストはすっきり感があるのか」
 と米光さん。
 ザムザが聞いたら泣くね。
 カフカがそういう意図をもって書いたのかどうかは、わからない。そもそも、カフカ自身があまり信用のおけない感じの人だったようだし。

■両親はこの虫をなぜザムザだと思うのか

 「変身」はザムザにすり寄って書かれている。
 なぜ、ザムザの両親はでっかい虫を見て、これを息子だと認めたのか(避ける行為は認めた証拠ともいえる)。
 米光説。
「元から虫のように扱われていた、のだけども、『オレ、ほんとに虫だから!』プレイが始まって、とうとう家族からも見放された」
 つまり、「変身」は、ほんとは虫にもなってないけど、虫プレイが始まった話だった!
 すごいなー。とうとう虫否定に!

■固有名詞が出てこない問題

 カフカの「変身」には驚くほど固有名詞とか場所が出てこない。イタリア製食器とは書いても、イタリアとは書かない。固有名詞でさえ、形容詞的に使うと、千野さんが指摘。
 お金の話は出てきても、具体的に何シリングとかいった通貨の単位は出てこない。徹底している。
 この、固有名詞を出さないという書き方が独特の異世界感を生み出している。安部公房倉橋由美子もこの方式。

 このほか、なぜお母さんは服を脱ぐのか、日本で実写化したらどういうメンツになるのか、など興味深い話がいっぱいあって、おなか満腹。もうしばらくカフカはいいやというくらいカフカ話を聞きまくりました。
 次は日本人作家をやるかもー、ということなので、大期待です。

 なお、『幻想文學セラピスト』一夜二夜は、電書カプセルで一〇〇円で販売中。米光千野コンビのトークをライターの与儀明子が緻密に再現しています。面白いよー。