沖で待つ

 絲山秋子。第134回芥川賞受賞作。
 本書には「勤労感謝の日」と「沖で待つ」が収録されている。薄い本である。

勤労感謝の日(「文學界」2004年5月号)

 何が勤労感謝だ、無職者にとっては単なる名無しの一日だ。それともこの私に、世間様に感謝しろ、とでも言うのか。冗談じゃない、私だって長い間働いて、税金もがっぽりとられて来たのだ。失業保険はかつて働いた分に応じて貰えるのだが、キャッと叫びたくなる程短期で少額だ。もちろん一緒に住まわせて貰っている母親には感謝している。働いていた頃のように月に五万円ずつ――それだって一人暮らしの家賃や食費のことを考えれば安いが――家に入れることが出来ないのがもどかしい。失業保険はあと二ヶ月しか残っていない、その間に就職できる保証はどこにもない。

 絲山節はこちらの作品のほうに濃いと思う。やはり失業者や社会から脱落した者が毒を吐かなければ。近所のおばさんに無理矢理見合いをセッティングされ、とんでもない「仕事大好き人間」に出会い、放り出してかつての同僚と会いに行く、まだ物足りなくて近所で飲む――というごく日常的な一日がどうしてこんなに面白いのか不思議だ。

沖で待つ(「文學界」2004年9月号)

 「しゃっくりが止まら、ないんだ」
 牧原太は靴下のまま玄関に突っ立って情けない顔をしていましたが、考えてみればもとから彼にはそういうすこし困ったような顔つきが似合っていたのでした。

 作者は早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後INAXに入社し、営業職として数度の転勤を経験。1998年に躁鬱病を患い休職、入院。入院中に小説を書き出したそうだが、まさにその体験のど真ん中の小説。
 ですます調の一歩引いた感じの文体にちょっと「え?」という感じはするのだが、話は面白い。
 タイトルは意外だ。最後まで読むと、出オチかよ、とわかる。