「ポロポロ」(田中小実昌)

 河出文庫で735円。お買い得の短編集である。
 収録作と冒頭の文章を。


「ボロボロ」(『海』一九七七年一二月号)
 石段をあがりきると、すぐそこに、人が立っていて、ぼくは、おやと、おもった。



「北川はぼくに」(『海』一九七八年三月号)
 死んだ初年兵は、夏衣の胸の物入(ポケット)に箸をさしていたという。



「岩塩の袋」(『海』一九七八年六月号)
 ぼくたちは、背嚢のなかに岩塩の袋をいれていた。



「魚撃ち」(『海』一九七八年九月号)
 軍曹殿は下駄をぬぐと、岩の上に腹ばいになり、銃をかまえた。



「鏡の顔」(『海』一九七九年一月号)
 阿片錠というのをもらった。阿片という字が錠剤に打刻てあるのが、おかしかった。



「寝台の穴」(『海』一九七九年四月号)
 寝台に四角い穴があいていた。五合枡にしてはかたちがちいさすぎ、一升枡のかたちでは大きすぎる穴だった。



「大尾のこと」(『海』一九七九年五月号)
 作法の教室という名前が出てくる。



 表題作は作者の田中小実昌さんがこどものころのはなしである。それ以外は、太平洋戦争末期に徴兵されて、中国大陸に行かされた戦争体験のはなしだ。感想は、いずれかけたら、かく。


 大事なのは掲載誌が中央公論社の文芸誌『海』だったということである。発表年月も大事だ。


 『海』については、たんなる読者だった私にはなにも書けない。
 「ポロポロ」を読了したら、ぜひ、筒井康隆さんのエッセイ「知の産業−ある編集者」(『SFアドベンチャー』一九八〇年六月号掲載、「着想の技術」 (新潮文庫)所収)を読んで欲しい。
 筒井さんがはじめて文芸誌である『海』に短編「家」を発表したのは一九七一年だ。奇しくもこの年は、田中小実昌さんが「自動巻時計の一日」で小説家としてデビューした年と符合する。
 そして、一九七八年。小実昌さんが『海』で大活躍している時に、筒井さんも「中隊長」(七月号)、「遠い座敷」(一〇月号)という傑作を連発し、とうとう一九七九年からは小説史上に残る虚人たちの連載を開始した。
 記憶されるべき、時代、場所だったのだとおもう。