殿山泰司の語り口のうまさはものすごい。
戦後、戦地から引き揚げてきてからの、俳優人生を語っているが、話は縦横無尽に広がって、読者は泣いたり笑ったりするのに忙しい。
この本、すでに二度も三度も読んでいながら、ふと手を取ると、また引き込まれている。魔術のようだ。
好きな箇所を引用しようとしたが、あまりにも多くて途方に暮れる。
魚市場の見えるロケ宿では、当時の常識に従って、メシは丼に盛切りの一ぱいだけ。いつも腹がクウクウとへっていた。だれかヒトリが、女中の見ている前で、アウアウアウとテンカンをおこす。「どうしたんですか、どうしたんですか、どないしましょう!!」と、女中がおどおどと言う。だれかヒトリが「テンカンなんだよコイツ」と言う。「テンカン?」「そうなんだよ、コイツのテンカンは頭のところへリンゴをおいてやると、すぐ直るんだけどな、リンゴテンカンなんだ」女中はマシラの如くバタバタと階段をおりて行き、またマシラの如くバタバタと、お盆にリンゴを山盛りにのせて上がってきて、寝かせてあるテンカンの枕もとにビクビクとおき、おののいたような表情を残して行ってしまう。おれたちはテンカン役者も一緒に車座となり、ウッヒヒヒとリンゴにかぶりつく。そのリンゴをガブッとやった瞬間、おれは、ああ再びカツドウヤになれたんだなァと、とてもとてもうれしくなってしまった。
こうして書き写してみると、オノマトペ(擬音)とカタカナが多いなあ。ふつうそういう文章はダメなのに、このリズム感と昂揚はなんだろう。
絶品です。一度開いたら、二度と閉じられない。